まとめ

カフェの歴史
HISTOIRE DES CAFES

パリの歴史的カフェ
CAFES HISTORIQUES
ラ・クーポール
La Coupole

歴史的なカフェ プロコープ 
Le Procope
歴史的なカフェ
La Closerie des Lilas
リップの長い物語
Le café Lipp
ブラッセリー ウェプレール
Le Wepler
ジンマー
Le café Zimmer
レ・ドゥ・マゴ

Les deux Magots
カフェ・ド・フロール
Le café de Flore

カフェ・ド・ラ・ぺ
Le café de la Paix

カフェとブラッスリーの文学賞
PRIX LITTERAIRES

 

カフェ・ド・ラ・ぺ

Cafe de la paix


ヨーロッパ大陸の向こう側のイギリス人に買い取られ、カフェ・ド・ラ・ぺの装飾は全面的に改装された。この改装は開店当時からの絵画や家具類全てを立派にみせるためのものだった。輝く金箔や漆喰の円柱、コリント式の柱頭、神話上の人物達で飾られている高い天井、大理石のテーブルの足はブロンズのライオンでできている・・・。カフェ・ド・ラ・ぺにいるとここは第二帝政下にあったカフェなのだとはっきりと意識することができる。


 カフェぺの成功は有名なオスマン男爵が待ち望んだ、オペラ・ガルニエの完成と、1875年のオペラ大通りの開通と密接に結びついている。カフェ・ドぺはすぐに第二帝政下のパリの名士たちの集う場となった。芸術家たち、小説家たち、ジャーナリストたち、劇場関係者たち、そして全ての財界人たちがここに集ったのだ。

 カフェぺの属しているホテルは1862年に、ウジェニー王女による盛大なオープニングセレモニーが行われたところである。ジャック・オフェンバックは自ら舞踏会のオーケストラを指揮していた。プルーストはここに定期的に来ていたし、モーパッサン、エミールゾラ、オスカー・ワイルド、アンドレジッド、トリスタンベルナールも同様だった。その後、マレレーヌ・ディエトリッヒはここに足しげく通うようになる。ヘミングウェイもカフェぺによく通い、『日はまた昇る』の一節はここで書かれることとなる。彼はパリ滞在初期のころ、妻と一緒にカフェぺで食事をとったのだが、会計の際、支払うのに十分なお金を持ち合わせていなかったため、数スーを探しに行くために急いでホテルへと走って行ったと言われている。

パリの中心の戦略的位置

 パリのビジネスの真の中心に位置する戦略的位置のため、カフェぺは歴史の証人となっている。1914年には、第一次大戦の前線に向かう途中のマルヌのタクシーがこのカフェの前を行進していた。クレマンソーは1918年に、オペラ座の前の軍隊行進をこのカフェの2階から見物している。第二次世界大戦中、カフェぺはずっと閉店していたのだが、ようやく自由になったパリにおいて、ここが再開したのはドゴール将軍に初めての食事を出すためだったのだ。

 42メートルもの長さのテラスとともに、カフェペは常連客、パリジャン、外国人の客達をひきつけている。

Café de la Paix